プロフィール

4歳より、スパルタ式にバイオリン教育を10年以上受け続け、クラシック音楽との愛憎関係を深める。日本マイム研究所を経て、ソロ活動をはじめる。マイムの領域を探りつつ、踏み越えつつダンス公演を名乗るようになる。自力のソロ自主公演など、よちよち歩きの駄作時代を経て「まったり及びテンパリ」の世界観を作品化する。2000年よりダンスカンパニー「ニブロール」の作品に出演。
'01年1月、生きた自分の体を素材とし、実験を試みる作品「私的解剖実験」が誕生。この公演を行ったSTスポットで働きながら、シリーズ作品「私的解剖実験地図」を、よりミニマムなスペース、より実験的な方法で上演。 ’02年、私的な実験の小さな成果が「私的解剖実験-2」に結晶。同作品はトヨタコレオグラフィーアワードにノミネートされ、同年7月にシアタートラムにて上演。同時期に行われたアサヒアートフェスティバル「水上アートバス」(隅田川に浮かぶ観光船でダンスパフォーマンス)に参加。札幌と横浜にて「私的解剖実験-3」発表。
'03年1月、麻布ディープラッツの企画『ダンスがみたい』に同作品を推敲させた「私的解剖実験-3.1」を上演。3月、都電荒川線の貸切電車の中で、ガタゴト揺られながら踊る。翌月、ドイツ文化センターにて行われた企画『ダンス&メディア』のオープニングパフォーマンスを行う。同年7月、ギャラリー ル・デコで繰り返し変容する体への新たな挑発に挑むためのプログラムで4回目になる「私的解剖実験地図」を上演。12月、「私的解剖実験-4」を発表。日常生活での人と人の関係から生まれる微細な体の動きを模写するという、従来とは異なる振付のアプローチを試みる。'04年7月、3人のダンサーとの共同作業による「私的解剖実験-4・振付バージョン」を上演。
'05年4月、横浜の小劇場、STスポットの2005年度契約アーティストに指名される。劇場と協働しながら作品の創造や地域へのアウトリーチ活動の展開を計画中。5月にニューヨーク・Japan Societyの企画『SOLO / DUO - Showcase for Emerging Japanese Dancers & Choreographers』に出演、ロビーパフォーマンスと「私的解剖実験-2」を上演。'06年9月、『オーストラリア-日本ダンスエクスチェンジ2006』に参加。大阪、松山、シドニーにおいてオーストラリアと日本のダンサー5組との交流、「私的解剖実験-3 リクエストバージョン」の上演およびワークショップなどのレジデンス活動を行う。'07年3月、東京の門仲天井ホールで「プライベート トレース」、同年7月には神楽坂ディープラッツの企画『ダンスがみたい』で「人間ラジオ」を発表。また、9月にはドイツ・ポーランドで開催される企画『JAPAN NOW』において、「プライベート トレース」を再演。
'03年以来、独自の体へのアプローチを応答し、知的障碍者、一般の方々、ダンサー、俳優、音楽家などを対象にしたワークショップを行っている。'05年より、魅力的なアーティスト達の手法に迫り、その手法の要素を自分でも試すという実験的な試み「道場破り企画」をスタートした。