面接画報|木村美那子

彼女の作品を最初に見たのは、STスポットでダンス企画に関わっていた時代で、岩淵多喜子氏キュレーターによる「ラボ20」に彼女が出演した時だった。共演者の男性を四つん這いになった彼女の背中の上に立たせて、そのまま立ち上がっていくというシーンがとても印象的だった。何も意図する余地のないギリギリの心身状態で舞台の上に存在する姿がそこにはあった。その後の公演を見るうちに知っていったもう一つの顔は、小さい体の奥に詰まった原動力の大きさだ。力の源はいったい何か?寝たままからだがのたうち回ったり、立った姿勢で胴体の奥が捩れるバネのような力を持ち、その力が手足を伝ってはち切れそうに動き回る。胴の中に隠されたその起爆剤が疲れ知らずの行動力を生み、様々な振付家による作品へのダンサー活動、家族介護、そして夜遊びにも及ぶ。私の作品にも出演してくれたわけだが、半年以上にも及んだリハーサルを通して、その起爆剤が何であるのか少し見えた気がした。彼女は本来の自分の魅力をまだ十分には知らずに、遠回りをして失敗してしまうこともあったようだ。失敗を通して自分を見いだし何度でも起きあがる彼女のエネルギーが今回のソロ公演で爆発するだろう。

『私的解剖実験-4』に出演して
手塚 私の作品に出てどうでしたか?
木村 作品を終えたあと、仙骨を意識すると横隔膜が震えるようになってしまいました。手塚さんのダンスとか、体の深いところに意識をもって踊っている人をみると、体が勝手にピクピクしますね。
手塚 それは面白い変化ですね。
木村 それから、共演した廣井陽子さんと山縣太一さんがとても存在感があって、引け目のようなものを感じていたのですが、つまり自分に自信を持ちきれなくて、今自分が何を求められているか勝手に状況判断をしてしまうところがありましたが、自分は自分のままで、ありのままでいいのだと思えるようになりました。
手塚 自分に自信が持てるようになったということですよね。それはとてもいい変化ですね。
木村 自分の体に正直になるということですね。

引き出し
手塚 今回の作品はなぜ8回公演にしたんですか?
木村 8という数字に特にこだわっていたわけではなくてたまたま…
手塚 回数を重ねる理由は?
木村 1回だけの公演と考えると、重く考え過ぎてしまうのです。作品に真剣になるのは当然ですけれど、シリアスになってしまうのがいやだったんです。最初は自分の思いつく「ネタ」を幾つもやれば良いのではないかと思っていました。いろいろな私の体の見せ方があると思っていましたし、自分のいろいろな引き出しを見せていけばいいのではないかと。しかし、それは違うと気づいて、たくさんの引き出しを小出しにみせるのではなく、たったひとつの引き出しで正々堂々と勝負しようと今は思っています。
手塚 どうしてそのように変化したの?
木村 高野美和子さんの作品に出演したとき、リハーサルでいろいろな引き出しを開けるスタイルで踊っていたんです。たくさんの引き出しからたくさんのネタを出して踊る方が一見楽なように感じてしまうんですよ。「私も器用なもんだ」と。でもそれを見てくれたCo.山田うんのメンバーに、「1つの引き出しで勝負したほうがいいよ、美那ちゃんそんなに器用じゃないよ」と言われて、どこか安心したんです。「私、器用じゃなかったのか」と。器用だと思っていた自分が、どのように居ればよいのか分からなくなっていたんですね。ひとつの引き出しで勝負することはミスの可能性も多くなってしまう。けれども、偶然の発見にも出会える。例えて言うなら、ひとつの太い幹から、枝葉が分かれていくように変化していくのはいいと思いますが、楠だったり、桜だったり、ミントだったり、色々なちがうものをやろうとしてしまうと、自分が分からなくなってしまうと気づいて、それで自分をきちんとその場に繋ぎ止めて作品の中に存在するためには、ひとつの引き出しで勝負するのが一番いいと思いました。結果的にその方がやはり良かったです。木村美那子として作品の中で、「あ、私生きてた。リアルだった」と思えたし、それが今回のソロ公演でも、8回をひとつの引き出しで勝負しようと決めるきっかけになりました。

過去の作品づくり
手塚 私が初めて木村さんの作品を見た「ラボ20」で初めてソロに近い作品を創ったのかな?ソロに近い作品を創ったのはいつぐらいからなのかな?
木村 大学時代はソロやデュオの作品を創っていましたね。ただ学校は守られた中で先生が見るという形だったし、人々に晒されているという感じではないですからね。だから20分の作品を初めて上演したと言えるのは「ラボ20」が初めてでした。
手塚 大学卒業からラボ出演までは何をしていたの?
木村 ちょうど卒業前後に山田うんさんの作品に出演して、ダンサーとしての活動はし始めていました。大学を出てから1年経っていませんでしたけど、学校を一年休学してオランダに留学したりもしていたのでそんなにすごい若かったというわけでは…
手塚 そうか、それで新卒という印象がそんなにはなかったのね(笑)。私が見たラボの話をすると、あの作品『命がけで突っ立った死体2003』は面白かったですね。最初四つん這いになった木村さんの上に男性が立っていて、それに耐えているというそれだけのことがとても良かった。「何かをしよう」と思ってできない心身の状態ですよね。「ただそうしているしかない」という体はとても美しいと感じた。「ただそうしているしかない」という存在感で舞台の上に体を載せていられるということは、なかなかできることではないと思うんです。それはとても難しい事で、人は誰かの前でいくらでも自分の「居かた」を変えることができるし、それと同じように舞台の上で“すごそうに”とか、“弱々しそうに”とか、“楽しげに”とか、“深刻そうに”とか「居かた」を取り繕うことができる。でも「そのようにしか立てない」「自分はこれでしかない」という存在感で舞台に立つということは簡単ではない。そのように居られる仕組みを、作品に用いるということはすごいと思います。偶然ではあったかもしれないけど。それで結果的に木村さんはそういう存在感であの舞台に居たんです。その迫力というか切実さみたいなものが身に迫ってきてとても感動しました。
木村 ありがとうございます。でも当時は全然そこまで考えてなかったです。
手塚 なぜああいう振りにしようと思ったの?
木村 背中の上に立っている彼がグラグラして不安定になったまま動いてるその状態がすごく好きだったんです。それを見せたくてあれを思いついたんですね。
手塚 なるほど、でもその不安定にグラグラして動いている状態も、やっぱり「そのようにしか立てない」状態ですよね。やっぱりそういう仕組みだったんですよあの作品は。しかも意図しなかったことの方により力があったというのも結果的に良かったと思いますね。
木村 でもその不安定な状態も練習するにつれ上手になってグラグラしなくなってきたのが、困ったといえば困ったですね。
手塚 なるほど、なんでそんなシーンを練習するの?
木村 ついつい心配でリハーサルをたくさんしてしまうんですー。
手塚 気持ちは良く分かります。はい。その作品のあとにソロ作品を創ったのは…
木村 次のラボでした。ディーン・モスのキュレーターの時でした。STスポットの舞台奥は壁面の上手と下手に出はけ口があって、上手に入って下手から出てくるとその間で何が起こっているか想像できるのが面白いと思った。だからその間を想像させる作品を創りたくて、『Cする〜』という題名にしました。オーディションの時、カバンの中からグラスを出して卵を割り入れるシーンを考えていたのに、そのグラスを入れたつもりがカバンを開けたら入ってなくて、しかも卵が固くて割れなくて、もう困って困って、でも結果的にその状況が面白くてオーディションに通ってしまった。
手塚 やっぱり意図しなかったことって面白いですよね、とても。本番を見たけれど、体がはち切れそうに踊っている姿がとても強く印象に残りましたね。
木村 その作品を「ダンスが見たい」という企画で再演したけれど、作品をそのまま塗り直そうとしてしまって、時間はないし、リハーサルでは「必然性がない」と言われ、とても苦しかったです。
手塚 でも結果的に「必然性」についての模索をしたということが作品にもちゃんと現れていたし、「木村美那子」ありのままの存在を晒す戦いをきちんとやっていたと思いますよ。

ぶちあたり続けて見つけたこと
手塚 その後はソロに近い作品作りは?
木村 岡田利規さんキュレーターの「ラボ20」に応募したのですが、出演はできなかったんです。そのオーディションでは自分の課題を突き付けられて、苦しかった。でも結果的には、それが今回の作品のテーマになっているのかもしれない。
手塚 具体的にその課題というと?
木村 私はその時、床に寝て、はい上がるまでを20分かけてやりたかったんです。本当は。でも、「それだけでは間が持たないかもしれない」という気持ちが頭をよぎって、頭で考えはじめてしまった。それで動きまわってしまって、自分で何をやろうとしていたのか全く分からなくなってしまった。その時20分かけてはい上がる挑戦を選択できなかったというのは本当に失敗でした。自分が本当はやるべきことを、周りの人が楽しめるかとか、どう思うかを考えすぎたり、人の判断を気にしたりということがいつも失敗に繋がっている気がします。だからもうそういう失敗は繰り返したくないという教訓にはなりました。
手塚 さっき話に出た「いろいろな引き出し」を使って、振付家の期待に応えようとして失敗してしまうというのも、同じ事かもしれないですね。結局、誰かの期待に応えようとしたり判断を気にしたりするのではなく、いかに「自分がどう居たいか」「自分がどのような居かたで人と関わりたいか」ということを徹底できるか、そういうことが壁にぶつかり続けながら問われて来たということなのかもしれませんね(笑)。
木村 まさにそうですね。

壁にぶちあたって泣きっ面木村
手塚 それで『泣きっ面に8』という題名にしたのね。
木村 題名をつけるのって本当に難しくて、今回は電車の中で急に思いついたのをそのままパッとつけてしまいました。手塚さんの作品のリハーサルをしていた1年近くの間に様々な事でどれだけ壁にぶちあたっていたことか…。
手塚 そういった状況が木村さんにその課題を伝えようとしていたのかもしれない。
木村 笑ってしまうことに、昨日この作品のリハーサルで壁にぶちあたる練習をしていたんです。偶然にも(笑)。
手塚 象徴的ですねー、この題名は木村さんの抱えている課題に深く因縁がありそうですね。
木村 私のソロ作品でモチーフとして出やすいのが、やられてもやられても起きあがるという姿で、そういう強さを出したいという気持ちはどこかありますね。だから「泣きっ面に蜂」だけど、それでもまた立ち上がってやるというような。そういう気持ちで題名をつけました。
手塚 自分の体に正直に、必然性を持って踊ることができるか、8回の本番を通して試されていくのだろうなと想像します。そして一回ずつ自分の課題を克服して強くなっていく木村美那子をとても楽しみにしています。