面接画報|中村公美

中村公美はワークショップで一年間同級生だった。それは自分のスタイルでダンスを創るためのワークショップだった。私と彼女それぞれにとって、等身大の自分を知る事が自分自身の作風に繋がると気づくきっかけを探していたのかもしれない。お互いに完全に迷っていた。しかし迷っているという時期は、大袈裟に言えば人生のチャンスだと今は思う。
いい意味で、創り方など何も教えてもらえない授業が、創るという行為の悩みを乗り越えさせ、自力でスタイルを確立しようともがいたすえに自分の場所を見つける事ができたのかもしれない。そして彼女の見つけた場所はとても純粋で厳しく、頑固で美しい。それは私にない頑固さで繰り返され続け、私に問いかけ続ける。

ワークショップ受講のキッカケ
手塚 あるワークショップで一緒だったという話からしましょうか?(笑)
中村 あー、(笑)そうだねーあれがなければ今頃は…
手塚 そうそうあれが原点だから。
中村 皆勤賞だしね。
手塚 そう、私たち二人だけ皆勤賞だった、そのワークショップの名前はなんだっけ?
中村 神楽坂ダンス教室。
手塚 講師は桜井圭介氏※1だったけれど、最初のレクチャーから出てた?
中村 うん、それで決めたんだ。
手塚 あー、そうか。確か、色々なビデオを見たように思う。映画のワンシーンやジェイムス・ブラウンが興奮して歌っている姿なんかもあって、夢中で歌うあまり足が痙攣している様子を指して「これがダンスですよ」と言っていたりして。ダンスの先入観そのものを疑ってそれぞれのスタイルを見つけるという内容が私に向いてると思ったけど、公美ちゃんはどうかな?
中村 「桜井圭介氏」という人がどんな人か分からなかったからとりあえずレクチャーに行ってみようと。それで、あー、これにしようと思った。テクニックがなくても面白いダンスもあるし。それはいったい何だろうな、と思った。それと、レクチャー中に桜井さんが前の席の人に時間を聞いたのね、その「今何時?」という聞き方が、いかにも「今何時?」という感じだったので、あーこの人は信用できると思った。
手塚 ほうー…、分かったような分からないような…。
※1…桜井圭介氏…ダンスの批評家。

舞踏を見た原体験
手塚 芝居をやっていた時期も長かったということだけど、それを止めてからブランクがどのくらいあったのかな?
中村 えーっと…3~4年くらいだったかな?
手塚 その間は劇団をやめて一人になっていたよね。一人になって仕事なんかもやっていて、それででも、舞台で自分の作品をやりたいと思っていたということ?実際やっていた?
中村 一回だけやった。
手塚 それは、自分ではジャンルというかどういうふうに意識していたの?「ダンス」ということを意識していた?
中村 うん、でも全然今とはちがうイメージだけどね。
手塚 ダンスって例えば自分が見たものの中で、こういうダンスだっていうのはあった?例えばアーティストで言えば誰とか…どういうものをイメージしていたの?
中村 誰ってことないけど…舞踏ということかな。
手塚 例えばそのころ好きだった舞踏のアーティストとかいたのかしら?…そういえば大野一雄が好きだったっけ?
中村 そう、そう、そう。
手塚 なるほど。大野一雄に出会ったのはというか、刺激を受けたのはいつくらい?
中村 もっとずっと昔。
手塚 それは彼のどういう所に惹かれたからなのかな?
中村 なんて言ったらいいかな、それはつまり「大野一雄は大野一雄だから」ということかな。彼の“振り”を真似ても仕方なくて、彼のダンスが彼そのものでしかなく、存在そのものでしかない。そのことがとても魅力で、だから私も、私そのものでしかないというダンスを探したかった。

変化の兆し
手塚 ワークショップでは、のちの作品にも使われたモチーフというか「本をアタマに載せる」ということもやっていたね。その時に、今まで公美ちゃんがやっていたものからすると唐突だなという印象があって、いままでとは違う切り口をバシっと出して来たという印象があった。先生に「何で本をのっけたの?」って聞かれたら、なんか「姿勢が良くなる」とか、「緊張感のある美しい体にするため」っていうことを言っていたのを覚えているよ。
中村 あー、思い出した。その前に「緊張感がある音を使っているのに、身体には緊張感がない」って言われたんだ。緊張かー、じゃあ、頭に本を載せれば緊張するなーと思って、単純に、それで本を載せたんだと思う。
手塚 あー、なるほど、それからの展開が今の公美ちゃんの流れをつくったような気がする。そのあと毛糸をほどくだけの作品を創ったよね?そうだ、その辺から作品が今のような方向に向かって変わって来たような気がする。体に包帯を巻くというモチーフも出て来たし、セーターを着るとか着ないとかというのもあったね(笑)なんだっけあれ?
中村 頭の出るところが縫ってあって、
手塚 でただもぞもぞもがいてるだけだっけ(笑)
中村 とにかく身体性がないとかテクニックがいっさいないということだから、なにをやればいいか、またどうやって動いたらいいか考えていたな。
手塚 そうして模索している過程で見たものを思い出すと、公美ちゃんの欲求なり衝動みたいなものを感じる。

彼女の切実さ
手塚 伊藤千枝さん※2がキュレーターだった時のSTスポット「ラボ20」という、ダンスのショーケースに出演した時は、頭に本を載せて落とさないようにするけど、どうしても落ちてしまってまたもどって本を頭に載せて出て来てまた落ちてというのをずっと繰り返す作品をやったよね。本を頭にのせること自体に大きな意味は普通に考えるとなくて、そういう無為なものを選択することが多いね。
中村 そうだね。
手塚 普通に考えれば本は頭にのせるものじゃないから。
中村 そう?でも何かあるとふざけてやってみたりしない?物があったらまず触ってみたいし、私にとっては割と普通の事かな。理屈で見つけたわけじゃなくて、なんとなくやってみたら結構いけるんじゃないかなと思って。
手塚 でも人にとって無為な行為であるところが面白いなと思う。それが、無理矢理やっているというわけではなくて、本を落とさないようにしているっていう、誰にも頼まれないようなことに必然性を持ってやってしまう。しかも何かを成すというような大袈裟な目標ではないけれど、命がけというか(笑)絶対落とさないようにするけれど、落ちてしまうっていうことの狭間に居続けるというところに切実さを感じる。体は切羽詰まっていて、切実な状態だと思う。そういう状態って普通人工的につくれることじゃないから、しかも、すごく危険を冒しているわけでもなく、冒険しているわけでもなくて、ほら、冒険家や登山家だったら達成するべくすごい目標に向かって確かに切羽詰まるだろうし、切実だと思うけど、でも、私はそうじゃないところがとても好きだな。大層な事でないということが。だけどそこに自分の切実さを持ってしまう。体だけではなく精神的にも。そして、行為としてはただ本を頭の上にのせて落とさないように立っているというだけの状態の体と心が、公美ちゃんが今まで生きて来たなかでの様々な切実な瞬間に時空を超えて触れて繋がっていくような瞬間なのかもしれない。そういう意味で、その後の公美ちゃんの作品の中でも同じような仕組みになっているような気がする。行為自体に意味がないということ。それにおいて切実な身体と心の状態になっているということ。それが今までの公美ちゃんの生きてきた切実さに触れていくということ。そこにおいて小さな彩りや振幅を見つける事ができるということ。また、その純粋さを守るために頑固になっていて、他のアイデアは?と聞かれたり、他の展開を考えてみたら?と言われても、そこに公美ちゃんの興味はそんなになくて、すごく純粋な切実さの自分の中の彩りだけを選んでいるというのは、無意識なのかもしれないけどすごく面白いなと思う。私は全然そんな風に純粋にできない。私の方がいろんな寄り道をして、いろんなことやってみちゃったりしてるかな。ほんと公美ちゃんは「この頑固者!!」っていう感じでいいよね。
※2 伊藤千枝さん…珍しいキノコ舞踊団の振付家。

腹の据わった瞬間
手塚 その本を頭の上に載せて落とさないようにする作品の題名はなんだっけ?
中村 「貴方探してこの街へ」
手塚 あー、そうだったね。その次がデザインフェスタギャラリーで最初にやった、荷造りのヒモの巻物を永遠に解いていく作品で、題名はなんだっけ?
中村 「たとえばこんな夜」
手塚 (笑)そうそう。いいねー素敵な題名。それで次が、2回目にデザインフェスタギャラリーの1階でやった、紙を裂いていく作品で、題名はなんだっけ?
中村 「からっぽになた」
手塚 お、題名がちょっと変わってきましたね。今までの作品すべて「ダンス」というジャンルということでやっていて、「じゃあ、ダンスって何?」っていう疑問を見ている人の側にいだかせることになっているということは、またもう一つ面白いことだと思う。
中村 私自身はそういうこと全く意識していないけどね。
手塚 ああ、そうなんだね。いままでやってきた中で変化してきたことってある?
中村 そんなにないなー。でも一番大きかったのはラボ20で最初に「貴方探して…」をやった時の公開ディスカッション(本番の少し前にお客さんを交えて、キュレーターに作品を見せ、作品についてディスカッションをするプログラム)の時、本を頭に載せるという行為以外のダンスっぽいシーンもやっていて、当時のキュレーターである伊藤千枝さんに「そのシーンは必要ないじゃない?」と言われて、ああそうかもしれないと思った。それで本を載せる行為だけにしてしまった。それが一番大きかったなー。
手塚 構成とか、踊ってみせるとかそういうこと全てをやめて、ひとつの行為だけをやり続けるということを選択できたっていうことが大きかったんだね。それを一つの切実さとして、様々な形でやってきたんだね。
中村 あの時は、見ている人は絶対つまらないのではないだろうかと思って、でもどうせつまらないんだったら思い切ってやってしまおう、というような。
手塚 そういえばかなりビビっていたのを思い出した。私はその公演の制作として経過をずっと見ていたけれど、途中までは結構焦っていたよね。でも最後には焦ったりあわてたりしなくなっていて、淡々とやっていたなと思う。そういうふうに何か腹が据わってから、「頑固一徹」を守るようになってきたという所なのかな。
中村 何か小細工してもダメなんだな。
手塚 結局あのとき衣裳も、その日に着てきた服になって、CDも一枚そのままかけっぱなしになって。(笑)それが以外に効果的だったりね。
中村 そういうことってあるよね。偶然が必然的な結果になってしまうようなことが。

1 0 月の上演について
手塚 近々、10月23日と24日にギャラリーで作品を発表するんだよね?今回はどんなものなのかな?
中村 今回は物は使わずに、ひとつのモチーフを決めてそれを繰り返そうと思ってる。
手塚 へー、それはすごい。
中村 今までも自分にとって予測不能な事をやってきて、舞台上ではその状況で見つけたことをやってきたけれど、それと逆にあらかじめ決めた事をやり続けるのが私にとって一番予測不能なことだからやってみようと思う。
手塚 ある意味で自分を追いつめているのかな?
中村 追いつめるというのはあまり好きじゃないけど。
手塚 不測の事態のただ中にいるほうが自由ということかもしれないね。私から見ると普段の公美ちゃんは結構不自由な心身の状態なのかもしれない。だから、それから開放されて自由な状態というのは、不測の事態が起きている瞬間なのかもしれないと思う。普通に考えたら逆に思うようなことだけど、それはすごく興味深い。また不測の事態に身を委ねる勇気が試されるということだね。
中村 今回はkamataさんというアーティスト※3の、写真を中心とした展示の中でやるけれど、それもどういうものが展示されるかまだ知らされていない。その影響を体に浴びつつやることになると思う。それも一つの不測の事態として魅力的な状況かな。
手塚 その不測の事態において自由を手にした公美ちゃんの心身に立ち会うことをとても楽しみにしています!
※3 kamataさん…写真家のkamata motokoさん。